056.人体実験♪罪悪感をとりはらう実験④ ~三高と明日のジョーの巻。

お金経済が我々を幸せにするすべてではない、
と頭でわかっているのに、私たちはどうしても振り回されてしまう。

その理由もわかっている。コマーシャリズムだ。
アイフォンが欲しいと言ってるのは
アイフォンの宣伝をしている地域の人々だけだ。

Hermèsが欲しいと思うのも、しかり。
アイスランドに住む先住民は欲しがらないと思う。

このことを忘れてしまったら、ハーレクインロマンスを読み返してほしい。
裕福で孤独な主人公が愛する人と出会い本当に幸せを見つけていくストーリーだ(ほとんどが笑)

この類の小説がどうして読み継がれているんですか?
それは、
何度も何度も、私たちが実感したいと思っているからではないですか?
つまり、
そうではない方向性に(お金経済が幸せの全てであると勘違いしている方向性)
向かっている私たちに歯止めをかけるために。
違いますか?
(ただただ、裕福なプリンスと結婚したいと思っている人じゃないよね?)
(お金で幸せを買えるという、読み物ではないよね?)

ではここで事例をだしてみましょう。
「好き」と「欲しい」についてです。

その昔、ばぶっている頃、三高男子というのがもてはやされました。
身長、学歴、収入の三つが高いという男子のことです。
そして、結婚相手には「三高が条件」なんて平気で言っていた時代です。

若い女性の心が欲しかったのは
「三高」という「条件」でした。

でも・・・・
そんな若い女性が、勤務先近くのキックボクシングジムに
ダイエットのために通うようになり、
そこでプロを目指す

マッチョだが、身長は自分と同じくらい
学歴は高卒
収入は・・・・プロボクサーを目指しているので居酒屋でバイト中
の「ジョー」と仲良くなります。
ジョーは、「三低」です。

でも、
彼の挑戦力があって、努力家で、
真面目で勇気があって人に極めてやさしいという人間力の高さに
興味を惹かれ、
まっすぐ見つめる彼の目にひきこまれ、
「♥好き♥」になってしまいます。

共感していただける部分があると思うのですが、
「欲しい」と
「好き」が異なるといいう、私たちが持つ共感性。。。

話を戻します。
私たちは、「お金が欲しい」けど
心を揺り動かされるのは、人生の「幸福感=好き=ジョー」です。

欲しい「三高」ではないけど、
心の底で「ジョー」を求めているんではないでしょうか?

私は、母親からしつけられたことが無意識に埋め込まれ、
観念としてそれを認識していて、それが「感情」を生み、行動につながっていく、ことを発見しました。

この観念を一度よおくみて、
「三高」なのか「ジョー」なのか、
肝をみつめる必要があると感じています。

お金経済もまさにそうです。
お金が欲しいだけじゃなくて、私は幸せを感じていたい。
そのために今日も人体実験を繰り返すのです。

さあて、納税時期(お金が減る~お金に振り回される~)
になってきましたので、
人体実験の始まり始まり。また次回をお楽しみに!!

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