自分の顔は「鏡」に映してでないと見えないので、自分を知るためには「鏡」が必要であって、この場合「鏡」というのが目の前の人です。
長年、親しくしている友人は、情も熱く、我慢強い人ですが、両親や家族に関して、ものすごく毒を吐く人です。
ときどき、そんなことを言うものではないよ、と諫めていたのですが、そんなお節介を言わなくても、他人には他人の自由意志があるのだからと聞き役にまわっているわけです。
年々、家族への不満が大きくなってきたなぁと感じてきたときでした。
目の前にいる友人がいつものように、家族を批判する言葉をいいだした。
嫌な気分で聞いていて、ああまた始まった…いつになったら終わるのかな、と思った途端、
気が付いたんです。
【あっ!これは私の代わりに言っているのだ】と。
つまり、、
目の前の人は、私の意識が作っている。
目の前の人が家族を批判しているこの姿、
現象は、私の奥底にある本音、ネタコなのだと。
ああ、なんてこと!!
目の前にいる友人に呆れていたけれど、それは自分自身のことだったなんて!
つまり、こういうことです。
私の母は、私が将来幸せになるよう、皆から愛されるよう、困ることがないよう、厳しく厳しく育てました。
自分でいうのもおかしな話ですが、私は自己肯定感が幼い時から強くて、自信家です。
何でもできると言ってきたし、できないことは努力でカバーもしてきた。
一方、母は目に見える成績や表彰に関しては無頓着を装いました。
私が天狗にならないようにしていたのかもしれません。
例えば、小学5年の時、飛び級で著名私立中学合格圏で表彰された時も、母はとても不機嫌でした。
私は母に認めてもらいたかったのですが、それが叶わなかったから、ネタコは長い間、隠れて奥の院にずーっと静かに暮らしていました。
ネタコ実験によって、内観がすすみ、自己受容感という意味もわかりかけ、自分で自分の機嫌をとる、という練習を続けてきたわけですが、ネタコが、わかりやすくなってきて、とうとう、目の前の友人が繰り広げていることが、なんと自分のことだと気が付いた。
私は母を批判したかったんです。批判することを封印していた。
だって、母は愛情をもって厳しくしつけたから。
そんな母に怒るのはいけないって封印していた。
でもネタコはそれを突破して、目の前の友人を通して、私にみせつけてきたのです。
ああ、そうだったんだねネタコ。
私は、ネタコを認め、ネタコを抱きしめ、ネタコに同意しました。
ネタコの手をとる。ネタコ、いままでごめんねという、
ネタコ苦しかったねといいました。
今回の人体実験♪結果
目の前の人は私の意識が作っている。
目の前の人の行動やセリフは、実は自分をみせている、ということがめちゃくちゃわかった。
目の前の友人の行動から、現象から、自分を知ることができた。
自己受容を高めて、自分を益々愛することを学んでいく。
自分で自分の機嫌をとることができれば、成幸間違いない!
ますます確信しているのじゃった。
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