035.人体実験♪ああ、目の前の人は私の意識が作っている、の巻き。

自分の顔は「鏡」に映してでないと見えないので、自分を知るためには「鏡」が必要であって、この場合「鏡」というのが目の前の人です。

長年、親しくしている友人は、情も熱く、我慢強い人ですが、両親や家族に関して、ものすごく毒を吐く人です。
ときどき、そんなことを言うものではないよ、と諫めていたのですが、そんなお節介を言わなくても、他人には他人の自由意志があるのだからと聞き役にまわっているわけです。

年々、家族への不満が大きくなってきたなぁと感じてきたときでした。
目の前にいる友人がいつものように、家族を批判する言葉をいいだした。
嫌な気分で聞いていて、ああまた始まった…いつになったら終わるのかな、と思った途端、
気が付いたんです。

【あっ!これは私の代わりに言っているのだ】と。

つまり、、
目の前の人は、私の意識が作っている。
目の前の人が家族を批判しているこの姿、
現象は、私の奥底にある本音、ネタコなのだと。

ああ、なんてこと!!
目の前にいる友人に呆れていたけれど、それは自分自身のことだったなんて!

つまり、こういうことです。
私の母は、私が将来幸せになるよう、皆から愛されるよう、困ることがないよう、厳しく厳しく育てました。

自分でいうのもおかしな話ですが、私は自己肯定感が幼い時から強くて、自信家です。
何でもできると言ってきたし、できないことは努力でカバーもしてきた。
一方、母は目に見える成績や表彰に関しては無頓着を装いました。
私が天狗にならないようにしていたのかもしれません。
例えば、小学5年の時、飛び級で著名私立中学合格圏で表彰された時も、母はとても不機嫌でした。

私は母に認めてもらいたかったのですが、それが叶わなかったから、ネタコは長い間、隠れて奥の院にずーっと静かに暮らしていました。

ネタコ実験によって、内観がすすみ、自己受容感という意味もわかりかけ、自分で自分の機嫌をとる、という練習を続けてきたわけですが、ネタコが、わかりやすくなってきて、とうとう、目の前の友人が繰り広げていることが、なんと自分のことだと気が付いた。

私は母を批判したかったんです。批判することを封印していた。
だって、母は愛情をもって厳しくしつけたから。
そんな母に怒るのはいけないって封印していた。
でもネタコはそれを突破して、目の前の友人を通して、私にみせつけてきたのです。

ああ、そうだったんだねネタコ。
私は、ネタコを認め、ネタコを抱きしめ、ネタコに同意しました。
ネタコの手をとる。ネタコ、いままでごめんねという、
ネタコ苦しかったねといいました。

今回の人体実験♪結果
目の前の人は私の意識が作っている。
目の前の人の行動やセリフは、実は自分をみせている、ということがめちゃくちゃわかった。

目の前の友人の行動から、現象から、自分を知ることができた。
自己受容を高めて、自分を益々愛することを学んでいく。
自分で自分の機嫌をとることができれば、成幸間違いない!
ますます確信しているのじゃった。

◆「ネタコをおこせ♪」番組の感想をぜひ教えてくださいませ。

https://docs.google.com/forms/d/1uY6tSi0F5GoEqIH3jjgtcK64POLiVmScMlESpE635V4/edit

034.人体実験♪仕事は他人に任せるべし、の巻き。

一体だれが、仕事は自力でやれって決めたのか。

ああ、私は私に聞きたい。
人に頼むことの罪悪感ったら半端ない。馬鹿なのか私は!

自分なら、他人を手伝ってあげたいって思っているくせに、
自分の仕事を他人に頼めないっていったい全体どういう心理なのか。

さあ、人体実験の始まりだ。

厳しい母の口癖は「他人に迷惑をかけるな」だった。

時代背景からいっても多くの同意を得られる。
自分の子どもたちには「ひとりで人間は生きていけないから、ひとには優しくしようね」と言い換えた。

でも、、、迷惑かけたらいけないのか?

自己受容が進んできた私は、「人に頼りたい」「任せてなんぼ」「いつもありがとう」のへなちょこの自分を多いに認めている。

お客様に怒鳴り返す実験をした私は、ますます心の中(ネタコ)だけでなく、行動にまで実験をして自分のへなちょこぶりを自分自身にみせている。

嫌だと思うなら、口に出す勇気をもてるようになってきた。
「〇〇が不安なので・・」と正直にいう勇気だ。

・恐れ入りますが、
・恐縮ですが、
・ご面倒ですが、

この言葉は、無理やり自分を引き下げてしまう前文なので割愛し、

「わたし」が「不安」なので、
××をしていただけないでしょうか?

この依頼ができる自分になる勇気をもつんだ!

体調が思いっきり不調で、この言葉を発言する実験を繰り返した。

「わたし」の「体調が不良」なので
・キャンセルしていただけないでしょうか?
・私の代わりに仕事をしていただけないでしょうか?

人体実験♪結果
なんということはない。みな快く、いいよといってくれた。
そして、(ここからが大事)その皆さんの回答を得た時に、自分の中が感謝の気持ちにあふれた。

今までだったら、
申し訳ないな・・・迷惑かけたな・・・今度お詫びに・・・という罪悪感が感じられたのだが、
今回は「感謝」「ありがとうございます」「助かります」という言葉があふれたのだ。

私にとって多いなる発見だった。

有難うございます、と感謝する。
人は、誰かの役にたって嬉しいという気持ちになるんだ。
迷惑をかけられたなんて思ってない。そうだ、だって私自身もそうなんだから、友人もそうだと信じていいのだ。

ああ、ありがたい。本当にありがたい発見だった。
仕事を人に頼んでいいんだ。
そしてありがとうございますといえばいいのだ。
自己受容感が満足した実験だった。

◆「ネタコをおこせ♪」番組の感想をぜひ教えてくださいませ。

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033.人体実験♪自己肯定感に踊らされるな!の巻き。

内観の人体実験を続けていると、幼い時の自分をあれやこれやと思い出すことが多くなった。

母が私を「特別なお嬢様」のように育てたかったんだなぁ。。。と、改めて気が付いた。
私は自立心が強くて管理されるのを嫌い、母を本当に困らせていた。
母は私を厳しくしつけ、反抗する私をますますしばりつけた。
そんな私は母に認めてもらいたくて、スポーツも委員会も勉強もクラブも頑張った。
「目にみえる」形での努力をした。優勝したり、表彰されたり、だ。
ということは、私の自己肯定感は非常に育ったといっても過言ではない。

自分自身を好意的に受け止められる力は、抜群だった。
特に「(テストとか)努力をすること」に関しては自信があった。やればできる、と。

ところが、、、
自己受容感はないので、「ヘンテコ」な自分を認められない。
誤魔化す。見て見ぬふりをする。逃避する。
その中でも一番多かったのは、我慢だ。

自分は「A」と思っているのに、
「A」と思ったら「自己肯定感が高い、世間常識に照らし合わせ」
人から認めてもらえなくなるのではないか、だから「B」とした。

自己受容をスルーし続けているから、
ネタコが暴れて、いつも不機嫌だった。

集中して仕事をしていると、「もしかして怒ってたりする?」と聞かれることが、たびたびあったのは、
自己肯定感はあるので、仕事を頑張るのは得意なのだが、でも、自己受容感がないから、実は機嫌が悪いのだ。

社会や常識という枠組みの中での自己肯定感だけは、異様に育ったので、社会で認められることは多かったが、ネタコにはずっと無理をさせていた。
ヘンテコな自分を認めてさえいれば、ネタコは不機嫌にならないはず。

集中して仕事をしているとき。。
ネタコの「こんなことを頼まれて私の仕事じゃないのにさ、ぷんぷん」と思っているのを自分で認める必要があった。
それを封印して一刻も早く仕上げようと集中した。なんたって自己肯定感は高いから、自信をもって仕上げたのだ。
そして、仕事をしている私の姿は他人からすれば、「怒っているようにみえた」のは当然至極だ。
ネタコが表出してから。恐るべし、自己肯定感。

人体実験♪結果
私は、大きく育った自己肯定感に自己受容感を阻まれてここまできたんだった。

◆「ネタコをおこせ♪」番組の感想をぜひ教えてくださいませ。

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032.人体実験♪自己受容ってヘンテコな自分を認めること、の巻き。

集中して仕事をしてい時、「もしかして怒ってたりする?」とたびたび聞かれることがありました。

また自分では「機嫌は普通」のときに
周囲から「機嫌が悪そう」と言われ、
鏡をみると「不服そうな顔」がそこにありました。

ネタコ実験をはじめていくと、その逆パターンとして、
「顔では笑っている」ときでも「ネタコ」は”不機嫌”でいることが真実としてあり、
これは人体実験に拍車をかけました。

自分の機嫌は、いったいどうなっているのか?

自然にニヤケテくる事があったらわかりやすいけど、
(例えば、昔もらったラブレターを読んだ時とか)
しかしそんなことは、やたらめったらあることではない。

だから私の場合、
■イラっとしたとき、
■おやっ?としたとき、
■なんとなく違和感、違うような「気がする」というとき、

こんな時、機嫌の☑の実験だ。

ネタコを掘り下げる。
この時の注意事項、「どんなネタコ」でも「非道なネタコ」でも、絶対否定しないこと。

■イラっとしたケース
往来の激しい交差点の角におばちゃんが自転車を止めて立ち話をはじめたとき。
ネタコ「こんなところにとめんじゃねえ!」と、人でなしのように叫ぶネタコの機嫌の取り方。

①人でなしの発言のネタコに「そりゃそうよ」と同意する。
②「まあまあ」おばちゃんだから、となだめる。
③自分だってするかもしれないのだから、となだめる。

こたえは・・・①です。

■おやっ?としたケース
小さな寄付を続けてきた私、カード引き落としの総額をみておやっ?
ネタコ「寄付金、まだ続けるつもり?」

①白も黒も一体。光も影も一体。強者弱者も一体だから、もうやめよう。
②でも、大きな団体に長年継続してるのだから、と思い直す。
③いやむしろ、物価高なので寄付団体を増やそうかな?

こたえは・・・①です。

<ポイント>あ!と思った瞬間、本当のネタコをつかむ。
このネタコの心をつかんだあと、かならずそれに「否定」が入る。
否定が入るということは、否定が入る前が「正解」ということだ、という結論。

今回の人体実験♪結果→
その「正解」を認めることが「自己受容」なのだ!
本当に「ヘンテコ」な自分を認めること。

◆「ネタコをおこせ♪」番組の感想をぜひ教えてくださいませ。

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